「住宅と環境」第6回。磯部の順番です。 4月最終週から丸々二週間の超長期ゴールデンウィーク休暇を取っておりまし て、今日は復帰二日目です。休暇を利用して「エコと不動産の価値」について自 分なりに考えようと、モロモロ何冊かの本も揃え、若干の心構えを持ってお休み に入ったのですが、予約してあった「1Q84-第三巻」を読み始めてしまったもの ですから、結局は新しい情報収集もほとんどなく、お休みは終わりを迎えてしま いました。陳謝!! 読んでもいないのに何ですが、再読も含め、読もうと思っていた本を挙げますと: ○「地球最後のオイルショック」、デイビッド・ストローン - 過度な石油依存 からの代替エネルギーへの転換の重要性と困難性、省エネ型ライフスタイル構築 の必要性などが、わかりやすく説かれているのですが、実はまだ50ページしか進 んでいません。 ○「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」、武田邦彦 - 半分以上は読んだ のですが、まだ終わっていません。冷静な視点で物事を見ることの重要性を感じ ます。 ○「グリーン革命(上・下)」、トーマス・フリードマン - 下巻の途中までは 以前読んでいたので、連休中にホントは読み終える予定でした。地球規模ですす む途上国の台頭とエネルギー・地球環境問題を共に解決していこうという前向き さは、アメリカ型の楽観的技術万能主義とも映りますが、世界が”フラット化”し てきている現実からすれば、そこに活路を見出すしかないと言うことなのかもし れないです。日本でも最近よく耳にする”スマートグリッド”などの新技術は、も たらされる効率性と必要となる投資とのバランスがとれるのか、素人としてはよ く分からないのですが……。 ○「クラウド時代とクール革命」、角川歴彦 - ネットワークの新たな形は、 ライフスタイルを変え環境問題にも大きなインパクトをもたらすだろうと思い、 読み始めたところです。”ベストセラー”の広告に吸い寄せられただけかもしれな いですが……。 環境配慮と利便性・快適性の確保を両立させつつ、社会・経済を停滞ではなく豊 かにしていくというのが大前提なのはよく分かるのですが、少し不便になったり スピードが遅くなったりすることを受け入れないで、環境をあるレベルにまで戻 すようなことが、本当に可能なのかしら、と素朴に思ったりもしますが、皆さん はどう思われますか? 話しはガラッと変わります。食べ終わったお弁当やおかずのトレイ、レトルト 食品のパウチなど、洗ってから捨てるようにしていたのですが、僕の住んでいる エリアでは、プラスチック製品を紙ゴミや生ゴミと一緒に可燃ゴミとして捨てて 良くなってしまったのです。焼却施設の能力が向上し分別収集するよりも高温で 燃やしてしまった方がいいのだそうです。だとすると、わざわざ水道の水で洗う こと自体資源の無駄のように思えてきて、汚いまま捨てることにしてしまいまし た。ペットボトルやビン・缶、牛乳パックや新聞紙・古紙などについては、分別 収集が常識化してきたわけですが、それとても、たとえばお茶を自分で入れて飲 めば、ペットボトルの量は多少なりとも少なくなるように思えるので、分別収集 が本当の意味のエコの御旗になるとも思えません。 それにしても、燃やせるモノはどんどん燃やしてしまうと決断がなされたのは、 リサイクルではまったく追いつかないほどの膨大な排出量があることによるので しょうね。 お茶を入れる手間と時間を惜しまない位のホンのちょっぴりのゆったりさも無理 なんでしょうかね。 ところで、前回中澤君から「土地とその定着物」とされる日本での不動産の定義 が紹介されましたが、以前からとても納得感があると個人的に思っている定義に 「Space over time with certain services」というのがあります。”一定の期間 にわたって特定の便益を提供する空間”と訳しています。 手前勝手に解釈しますと、土地であれ建物であれ何であれ、三次元の空間である こと。永遠に続く時間軸の中に置かれている必要はなく、ある限定的な時間帯の 中(それは長い場合も短い場合もあるでしょうが)に存在していること。そこから 何かがもたらされること(それは、生き物としての行動モチベーションを維持・ 高揚させてくれる豊かさであったり、文化的・歴史的な価値であったり、発見や 出会いを結ぶ心地よさや快適性であったり、様々な意味での再生産の原動力で あったり、経済的な利益であったり……)、と言えましょうか。しかも、ここでい うservice -- 便益-が最高度に実現するとき、財としての不動産は社会的にも 経済的にも最大の価値をもたらすのだと。 またまた話しが逸れますが、私の住んでいるマンションは、1960年代前半に建っ た建物です。ゆったりとした配置計画の下、現在の建築基準法では不可能な高さ があるために上層階は十分な眺望をエンジョイでき、共用部はエレベーター・ ホール一つとっても昨今の新築マンションには見られないような広さが確保され ています。天井高の低さや水回り設備の老朽化など、不満は数多くあるものの、 それらを差し引いてもまだまだ十分使用に耐え得る状態にあります。しかし、一 つだけとても大きな難点があるのです。耐震基準が現行の基準に遙かに及ばず、 予想されている首都圏大地震が起きた場合の危険性は非常に高いという診断結果 が報告されているのです。 何らかの対策を講じなければ、いざ巨大地震が起きた際大変なことになるのは目 に見えています。選択肢は三つ。①来るべき地震に耐えるよう耐震補強工事を施 す。②現在の建物を取り壊し耐震性に優れた新しい建物に建て替える。もちろん そのいずれもが、多くの時間とお金と労力を必要とするのはいうまでもありませ ん。だとしますと、③とりあえず継続使用は可能であり、何も対策を講じないで 地震が来ないことに賭ける、という選択肢も浮上してきます。 論点がズレていたら是非指摘をして下さいね。この状況について、a)人命、b)環 境配慮、c)不動産価値という三つのXを最大限に満たす答えは①、②、③のウチど れなのでしょうか。時間と費用が許容範囲に収まるとすればですが、既存建物を 取り壊して建て替えれば、耐震性が充足され人命に対するリスクも一挙に軽減さ れるでしょう。耐用年数は新築になることで一挙に延び資産価値も上がるでしょ う。出来上がった建物はおそらく環境にも配慮されているでしょう。しかし、膨 大な建設廃棄物と新築のための莫大な資源が必要とされるでしょう。 耐震補強工事は既存建物を残しながら人命リスク軽減を図るという意味で、エ コ・コンシャスな感じです。時間と費用との関係が大丈夫だとすればですけど ね。しかし、建物それ自体の寿命が築後50年近い現状から変わることにはならな いでしょうし、資産価値がポジティブにジャンプアップするというのも想像しに くいですね。 だとすると、何もしないというのがもっともエコ・コンシャスなようにも思えて きます。資産性と人命リスクさえ無視すればですが……。 エコ概念を不動産の定義にビルトインさせる必要性は言わずもがなでしょう。し かし、三元一次方程式を解くというような訳には、なかなかいかないものなので すね。 休みぼけもあってまとまりナシの原稿になってしまい申し訳ありませんでした。 ここまでお付き合い下さった方には深く感謝します。。有り難うございました。
30 9月, 2013
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